MakinoYo

FREELANCE JOURNALIST

A Freelance Journalist & Translator in California

About Me

ニューヨークにあるコロンビア大学ジャーナリズムスクールの正面玄関。銅像は第3第アメリカ大統領トマス・ジェファーソン
 サラリーマンとして大手町で一生働き続ければ、安定した生活は保障されるけれども、1度しかない人生でそれではつまらない――。こう思い、新聞社(本社は東京・大手町)を早期退職、翌年に一家でカリフォルニアへ移住しました。(略歴はこちら)(ブックスキャンとのインタビュー記事はこちら

 「ワーク・ライフ・バランス」を充実させようと決意し、脱サラしたのです。経済的に不安定な自営業者になりましたが、カリフォルニアという開放的な環境下で、子供たちと接する時間は飛躍的に増えました。詳細についてはブログ「大手町からカリフォルニア」をご覧ください。

 それだけではありません。「ライフ」と同時に「ワーク」でも自己実現するためには脱サラが必要だったのです。

 1980年代後半にニューヨークのコロンビア大学ジャーナリズムに留学して以来、20年以上にわたって「日本のマスコミは構造問題を抱えている。世の中のためにもジャーナリズムの本を書きたい」と思い続けていました。しかし、新聞社に所属しながら新聞に批判的な内容の本を書くわけにはいきません。

 2012年1月、念願かない、『官報複合体』という形でジャーナリズム本を出版できました。妻との分担で家事と子育てをこなしながらの作業でしたが、20年来の夢が実現し、感無量です。大所高所からのマスコミ論を語るのではなく、報道現場での体験を描くことで日米比較した点に価値があると思っています。この本が日本のジャーナリズムを良くするために少しでも役に立てばと願っています。

 長らくジャーナリズム本を書きたいと思っていたとはいえ、記者としての専門分野は証券市場・企業経営でした。日米欧を舞台に20年以上にわたって国際会計基準や企業統治(コーポレート・ガバナンス)、M&A(企業の合併・買収)などを取材してきました。「最強の投資家」ウォーレン・バフェットや「知の巨人」ピーター・ドラッカーに直接インタビューし、本にもまとめました。

クレアモントにあるドラッカースクール校舎。手前の通りは、ドラッカー生誕100年を記念して命名されたドラッカーウエー
 『官報複合体』を上梓したこともあり、現在は取材テーマとしてはメディア・ジャーナリズムに軸足を置いています。同書に続いて2012年暮れには自民党・河野太郎との共著『共謀者たち』、2013年7月には『米ハフィントン・ポストの衝撃』を出版しました。このほか、講談社「現代ビジネス」でコラム連載したり、本の翻訳を手掛けたりしています。
  
 「ワーク」とともに、小学校・保育園の送迎や食事の用意、買い物、掃除・洗濯などの「ライフ」も盛りだくさんです。目が回るほどですが、子供たちの笑顔にいつも救われます。サラリーマン時代よりも「ワーク」と「ライフ」のいずれもが充実――こう思えます。

 2013年春まではロサンゼルス近郊のクレアモントに家族で5年近く住みました。ドラッカーが30年以上も住み続けた「ドラッカー第2の故郷」です。永眠する直前のドラッカーに2週間にわたってインタビューした思い出深い土地であり、ドラッカー流「知識労働者」にぴったりの仕事環境でした。

 クレアモント後は福岡で新生活。妻が無事にクレアモント大学院大学(CGU)で経営学の博士号(PhD)を取得し、九州大学でアントレプリナーシップを教えることになったためです。かねて「日本に住むなら福岡」と考えていただけに、何かの巡り合わせを感じずにはいられません。(執筆は2013年春時点)